当サイト内に広告を含む場合があります。

清水千浪は元サッカー選手wiki風プロフィールと車椅子バスケへの転身

車椅子バスケ 歴史・人物

清水千浪選手はサッカー選手を目指していましたが、車椅子バスケットボール選手になりました。

車椅子バスケは、障害者が車椅子に乗りバスケットボールを行うものですが、そのスピード感や多彩な車椅子の操作テクニックなど、障害者スポーツの中でも人気のあるスポーツです。

日本車椅子バスケは男子女子ともに、2021年度開催予定の東京2020パラリンピック競技大会でのメダル獲得を期待されています。

そのなかでも清水千浪選手のプロフィールをwiki風にまとも、清水千浪選手が褐色細胞腫発症からの車椅子バスケとの出会いをご紹介します。

スポンサーリンク

清水千浪がサッカー選手から車椅子バスケと出会うまで

サッカー選手
清水千浪はサッカー選手から車いすバスケに転身している経歴をもつ選手です。

清水選手は、幼い頃からスポーツ好きで、小中学・高校は陸上選手として大会に出場し、中学2年には1500mで県大会優勝を果たすほど。

愛媛大学に入学すると女子サッカー部に所属しますが、3年の時には休学して「JAPANサッカーカレッジ」の女子サッカー専攻科に入学します。

それは、トレーナーとしての技術も学ぶためでもありました。

20歳の時になでしこリーグのアルプレックス新潟レディースのトライアウトを受け入団するのですが思うように試合出場が叶いません。

その2年間アルプレックス新潟レディースに在籍した後、バニーズ京都SCに移籍したが、怪我で半月板の損傷により2008年に25歳で引退となります。

引退後、大阪でトレーニングジムのトレーナーをしていたが、2012年30歳のときに副腎髄質に腫瘍ができホルモン異常が起こる、褐色細胞腫という病気が発症したのです。

そのため血流や血圧などに異常をきたし、右足の壊死により指先切断や、両下肢に障害が残り車椅子生活になったというのが経緯。

車椅子生活になってから、色々な障害者スポーツを体験したが、インターネットで存在を知った車椅子バスケの女子チーム「カクテル」の練習を見学したのが、車椅子バスケを本格的に行うきっかけとなった。

清水千浪のwiki風プロフィール

バスケットボール
清水千浪(しみずちなみ、1982年11月8日-)のプロフィールは、滋賀県長浜市出身の女子車椅子バスケットボール選手。

車椅子バスケのクラス:3.0、ポジションはセンター、フォワード。

車椅子バスケ女子チーム「カクテル」所属。

2015年から車椅子バスケを始め、2016年には日本代表候補入り、2018年には日本代表にまで登り詰めます。

女子サッカーなでしこリーグのアルピレックス新潟レディース、バニーズ京都SCでプレーし、女子サッカーは2008年に引退した後に、怪我や病気で車椅子と共に生きることになりました。

スポンサーリンク

清水千浪が車椅子バスケ女子代表メンバーに!

日本国旗

清水千浪が車椅子バスケに興味を持つまには、サッカーでの半月板損傷でのサッカー選手への挫折がきっかけとなります。

さらには褐色細胞腫という病気になりながらも治療、切断、両下肢障害などと闘い、リハビリを続け諦めない気持ちを抱きながら、車椅子バスケットボールの練習を見ることとなります。

京阪神を活動拠点とする女子車椅子バスケチームカクテルの楽しそうな練習を見学したときに、色々な障害を持った選手が共通の目的に向かっていることを知り、自分も一緒にプレーしたいという気持ちになったとのが出会いだそう。

2015年に入団したカクテルは、2006年に全日本選手権大会で優勝してから、2019年までの間に10回(2014年からは6連勝中)の日本トップのチームである。

清水千浪選手は、カクテル入団後わずかな期間で頭角を現し、2016年9月には強化選手として日本代表合宿に参加するようになっている強者です。

そして2018年のインドネシアアジアパラ競技大会において、日本代表としてデビューを果たした車椅子バスケ選手が清水千浪さんです。

まとめ

清水千浪選手は、サッカーを怪我で諦めましたが、さらに褐色細胞腫という難病を乗り越えた経緯のプロフィールを紹介しました。

その難病を乗り越え清水千浪選手は今では車椅子バスケの女子日本代表になりました。

短期間で車椅子バスケの日本代表まで昇りつめるとは、さすが元なでしこですね。

日本の車椅子女子バスケットボールのセンター、フォワードとして、注目選手の一人、みんなで応援しましょうね。

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました