小田島理恵選手のプロフィールを紹介します。
パラリンピックの公式スポーツである車椅子バスケは、障害者が行うスポーツの中でも、花形スポーツとして人気があり、日本では約100チーム、1,000名が登録選手として活動しています。
なかでも活躍を期待されているのが小田島理恵選手が事故で車椅子生活になり、車椅子バスケと出会うきっかけから車椅子バスケ日本代表メンバーになるまで。
パラリンピアンとなった小田島理恵さんの今に至る過程からみえる努力と精神力をお伝えします。
小田島理恵wiki風プロフィール
小田島理恵(おだじまりえ、1989年4月1日生-)のプロフィールは、埼玉県出身の女子車椅子バスケットボール選手。
車椅子バスケのクラスポイントは2.5、ポジションはガード・フォワード。
車椅子バスケ女子チームGRACE所属。
2013年から車椅子バスケを始めて、2016年から日本代表強化指定選手となる。
会社はリクルート所属、リクルートオフィスサポート勤務。
得意技はミドルシュート。
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小田島理恵は事故で車椅子バスケと出会う
小田島理恵さんは事故に遭うまで、3歳から中学生までピアノを習いながら、中学時代の部活は吹奏部と文化系女子でした。
他にも習い事は習字とそろばんで、全くスポーツはしていなかったそうです。
高校の部活で、はじめて少林寺拳法を3年間行いますが、高校3年のときに右ひざを痛め全国高校大会は欠場することになります。
しかし、一般の全国大会に出場し立派に5位入賞を果たしています。
高校卒業後は、専門学校入学後にストレスが原因で摂食障害やうつ病を患い入退院を繰り返し、高校の頃に78キロあった体重が、1~2年で37kgまで減量します。
専門学校在籍中の22歳のときに事故に遭い入院、脊髄損傷不全麻痺で右下肢と体幹の機能が低下し、まったく動けない状態に。
退院後、障害者のスポーツセンターでリハビリをしていた時に、車椅子バスケの体験教室があり興味本位で参加したのが、車椅子バスケとの出会いです。
車椅子バスケのチーム練習に参加したところ、チーム内にいたパラリンピアンの影響を受け、自らもパラリンピックを目指すことを決めた。
車いすバスケットボール小田島理恵選手の誕生です。
車椅子バスケ女子日本代表メンバーとなる
車椅子バスケ女子日本代表メンバーに小田島恵利が選出されました。
車椅子バスケを始めたことで食欲も出るようになり、摂食障害も徐々に克服していきます。
車椅子で仕事と競技を両立しながら車椅子バスケ練習に慣れたころ、現GRACEヘッドコーチ長野志穂の指導を受けるようになり、日本代表からも声がかかるようになります。
2016年から車椅子バスケ女子日本代表として国際試合にも出場するようになり、2019年のアジアオセアニアチャンピオンシップスでは3位に入賞しています。
まとめ
小田島理恵のプロフィールをwiki風に紹介しました。
小田島理恵さんは重大な事故を乗り越えて、車椅子バスケの女子日本代表メンバーまで昇りつめた努力と精神力は凄いですね。
女子車椅子バスケは、開催国として日本での延期になりましたが2021年パラリンピックに出場が決まっており、世界を相手に戦いを挑みます。
さまざまな苦難を乗り越えた小田島理恵さんをそして車椅子バスケ日本代表を応援しましょう。
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