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車いすバスケットボール高松義伸選手のwiki風プロフィールと経歴

男性 歴史・人物

車いすバスケの日本代表は東京2020パラリンピック競技大会、男子車いすバスケットボールにて、日本史上初の銀メダルを獲得しました。

惜しくも米国に敗れたものの、車椅子バスケ選手達のまなざしはすでに先をみすえています。

東京パラリンピックで車いすバスケチーム一番若手の高松義伸(たかまつよしのぶ)選手はコートにこそあまり入りませんでしたが次のパリパラリンピックの期待の星。

その高松義伸選手をWikipedia風に経歴とプロフィール紹介します。

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車いすバスケ高松義伸選手のパラリンピック背番号

21
車いす日本代表選手の高松義伸パラリンピック選手は、正しくは髙柗義伸(たかまつよしのぶ)さんと書きます。

高松の「高(たか)」は難しく「柗(まつ)」が機種依存文字(機種によって文字化けする)のため、高松義伸選手と表記されています。

そんな高松義伸選手は東京パラリンピック大会が初パラリンピック出場でした。

車いすバスケットボール日本代表選手の中では、最年少での出場ということもあり・・・まさに次世代を期待できる、若手の一人ともいえますね。

ベンチで控えている高松義伸選手がカメラで映し出されるたびに「あのイケメン誰?」と話題になっていました。

そんな高松義伸(髙柗義伸)選手の東京パラリンピック大会での背番号は『21』でした。

髙松義伸のWikipedia風プロフィール

高松義伸選手をWikipedia風プロフィールで紹介します!

プロフィール

・名前:髙柗義伸(たかまつ よしのぶ)
・生年月日:1999年11月20日(2021年9月現在21歳)
・出生地:栃木県小山市
・出身校:小山市立小山中学校、作新学院高等学校(栃木県)、日本体育大学(東京都)
・身長/体重:身長180㎝/不明
・家族構成: 父・邦孔さん(くによし/47歳)、母・かおりさん(47歳)、妹さん、愛犬
・所属:日本体育大学栃木レイカーズ
・ポジション:センター
・クラス:4.0
・ニックネーム:栃木の逸材

中学時代は野球に夢中だった高松義伸選手は、外野選手や投手として活躍していました。

「スポーツで進学したい」、というほど運動が得意で、大学も体育学部体育学科に合格しています。

中学3年生(2014年5月)の頃、髙柗選手の左脚が痛く自転車がこげなくなることや、体育でハードルが跳べなくなってきたそうです。

県大会に出られなくなるのが嫌だった髙柗選手は、試合後まで病院に行かずにおり、大きな病院で骨肉腫であると判明します。

そして、作新学院高校1年生の夏に治療を終えた髙柗選手の左膝は、人工関節になりました。

その後、父・邦孔(くによし)さんが誘った車いすバスケの体験会に参加したことをきっかけに、髙柗選手は車いすバスケと出会います。

『栃木レイカーズ』に加入し、競技用車いすに乗ると、すぐに夢中になったそうです。

髙柗義伸選手と車いすバスケとの出会い・栃木レイカーズ

高松義伸選手は高校2年生の時に骨肉腫が再発し、脚の切断を余儀なくされます。

車いすバスケチーム・栃木レイカーズに参加していた髙柗選手は、「4点選手になるように切断してください」、と主治医に申し出たそうです。

髙柗選手(当時4.5点)は、低い点ならチームの戦略の幅が広がると、車いすバスケルールの持ち点(※1)を前向きに捉えることで、自身の現実と向き合っています。

※1(コート上に入れる5人の持ち点の合計が、14点以下になるようにしなければならない)

このエピソードからも、髙柗選手の車椅子バスケットボールに対しての本気さがうかがえますよね。

▼関連記事▼
車椅子バスケの持ち点制度は対象者の能力でクラス分け!車椅子の違いと特徴

チーム所属後は、競技用車いすで坂道の走り込み、タイヤを引くなどの個人練習にも打ち込んでいたそうです。

栃木レイカーズの大塚弘之(おおつか ひろゆき)監督(62歳)も驚く成長をしていると話します。

「(髙柗選手は)入団当初はひょろひょろだったが、パワーとスピードが出た。”速く動きすぎ”と注意することもあった」

東京オリンピック・パラリンピック2020公式ホームページの高松義伸選手プロファイルから(掲載がいつまでか分かりませんが)メッセージ動画が見られます。

https://sports.nhk.or.jp/paralympic/athletes/takamatsu-yoshinobu-11099/

高松義伸選手の車いすバスケで発揮するスタミナとスピードは自身の持ち味となっていったのです。

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髙柗義伸選手の経歴とインスタとTwitterで人気の理由

プロフィール
高松義伸選手の経歴ですが、現在の情報はインスタやTwitterなどのSNSで知る事ができます。

高松義伸選手は、高校3年生の時には、U23世界大会へ出場しています。

そして、2018年にA代表に初めて選ばれました。

栃木県からパラリンピック日本代表選手に選ばれたのは栃木県代表選手は高松義伸選手が2人目。

2012年ロンドン大会に出場した増渕倫己(ますぶち ともみ)選手以来になります。

そんな高松義伸選手ですが・・・インスタやTwitterで人気沸騰中です。

その理由を探ってみようと思います。

インスタとTwitterで人気の理由


チーム最年少で、イケメンでもある髙柗選手は、インスタグラムやTwitterを長年使っているので、メッセージ発信をするのも上手です。

インスタでは、自身だけでなく、他の代表選手達の笑顔写真が多い印象をうけます。

Instagram↓
高松義伸選手のインスタ

日本体育大学の体育学部体育学科に合格したことも、画像と共にTwitterでご本人が呟いていました。

Twitter↓
高松義伸選手のTwitterプロフィール

東京2020パラリンピック競技大会・決勝戦後の投稿については、フォロワー側もコメントについつい力が入ってしまったのではないでしょうか?

・・・そんなファンが喜ぶ投稿をしてくれる、髙柗選手が人気になるのもうなずけます。

髙柗選手は車いすバスケ日本代表選手との写真だけでなく、ご家族との記事も沢山あげており、家族仲が良いのもすごく伝わってきます。

この家族仲のよいところも、高松義伸選手が人気の理由といえるでしょう。

父・邦孔(くによし)さんもSNSをやっており、髙柗選手の息子としての素顔も知れるのはファンとしては嬉しいですよね。

そんなお父さまは、髙柗選手の自主トレにも一緒に参加して、大会のサポートをしてくださっていたようです。

母・かおりさんは、体の弱かった幼少の髙柗選手に”とにかく体を強くしたかった”と、水泳や野球、サッカー、ラグビー、体操などに挑戦させていたそうです。

こんなに根気よく子どもと向き合ってくれるなんて・・・素敵なお父さまとお母さまですよね。

そんなご家族はテレビで米国との決勝戦を見届けていました。

日本のシュートやリバウンドが決まるごとに声援を送り、終盤の髙柗選手の登場ではさらに盛り上がっていたようです。

大事な家族だからこそ、より一層応援にも力が入る様子にこちらまで力が入りました。

まとめ

車いすバスケで期待の新人として注目されている高松義伸(たかまつ よしのぶ)選手のwiki風プロフィールと経歴をご紹介してきました。

高松選手と車いすバスケットボールとの出会い、インスタやTwitter人気の理由など紹介しました。

今回の東京2020パラリンピック競技大会での背番号「21」高松義伸選手含めた車いすバスケ男子銀メダル獲得も、彼の人気を後押ししているといえます。

パラリンピック車椅子バスケ男子決勝戦の後のインタビューやつぶやきでは「このチームでやれてよかった」、「ここに立てただけでよい経験」。

このように、決勝戦の終盤のわずかなプレータイムをかみしめる高松義伸選手には、次のパラリンピックパリ大会に向けてこみ上がる思いがあったのかもしれません。

「僕はこれからの選手」、「先輩方がつくってくれた歴史を崩すことなく、継続してメダル獲得していきたい」、と話す高松義伸選手を、非常に頼もしくも感じました。

髙柗選手はインスタグラムとTwitter両方のアカウントを持っているので車いすバスケチーム仲間、日常を見ながら応援メッセージも送れます。

気になった方は、ぜひとも高松義伸選手にメッセージをしてみてはいかがでしょうか?

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